三之丞の古文書棚 22年の弐
気になるのは、大学を舞台にした作品は暮林先生くらいしか無いこと。
学生/短大生という肩書の人物は弓彦/省悟君、姫野姉妹の長女、島崎郁さん、鷹司郁子さま、等といますが
大教室の講義を受けたりバイトしたりサークル活動したり単位落っことして再履修になったり卒論に苦しんだり…と
そーいう大学生活は全く描かれない。何故なんでしょうね
でんぞ 12/08 21:48
シュンペタも歌うよゲゲゲのゲ♪
哲学者は常日頃面白ろいことを言うのが信条で無敵であると思われるが、経済学者が言う面白ろいことはよほど面白ろくなければ救われぬ感じがして、応援の対象になる。頑張れ、シュンペタ。
Shakespeareを原語で読む(またはそのふりをする)同級生はいませんでした。
そんな化物、いてたまるかよ。
アメリカ人だって「現代語訳」で読むんだぞ。
ロレンスが国語の先生で良かったね。
もしロレンスが社会科の先生で「資本論」のレポートを課されたら
全52章じゃ3人で割れなかった。
限られたページ数で全てを描く必要はありません。
描かれていないだけで氷室君は雪村さんの為に陰でいっぱい仕事したのかもしれません。
ああ、でも、それにしたって、溜めていた洗濯物の世話なんて男子には頼めないよな。どーすんだ雪村さん。
人間に戻って部屋に帰ったらキノコの生えたパンツがいっぱい!
政治論争もよくやりました。新自クの支持者が多かった(河野洋平の地元)。
いや違う、私たちの高校時代すでに新自クは無かったし、女子高生のスカートは短かったし、
スマホがあるから中宮定子の性別なんて一瞬でわかるんでしたっけ。こほん。
とにかく、周囲の友人から受ける刺激が私の「肥料」になったという点で、あの3年間を超える時代はありません。
肥料多すぎて枯れちゃった私^^
資本論、史緒さんの発言なら「あり」です。
私の高校時代がそんな感じでしたので。ええ。
私自身はマルクスには手を出しませんでしたが
周囲の連中はかなり読んでたように思います。(読んだふりの人もいたかも)
堤杏子タイプの生徒が多かったです。特に3年のときのクラス。
僕がひとつ気になるのは、光源氏にマルクスの「資本論」読ませてやりてぇ、です。
女子高生が簡単に吐けるセリフではないです。
・「病」も、(白抜きでない)通常の書き文字では正しく欠けているのでした。(大天使3巻の1/4、お隣りの津村さんに迷惑かけた話)
・透明+透明=赤、赤+透明=青
「透明」を「無色透明」に訂正いたします。
「漫画」「数学」で検索すると、「単独作品としては」数学みっちり出てくる作品もたくさんあるようです。
でも、同一作者の複数作品に数学がでかい面して出しゃばってるとなると、はて。
ほかの漫画家のことはよく知りませんので「無い」と断言はできませんが。
少なくとも高野文子・成田美名子・玖保キリコ・わかつきめぐみ・園山俊二・いしいひさいち・吾妻ひでお・藤子不二雄にはこんなに数学は出ません。
数学に限らず、川原「教授」ですからねー。
生物、日本史、世界史、政経、なんだってできちゃうんです。
古典の授業なんて「徒然草」か「方丈記」あたりの一節を読ませておけばそれなりに恰好はつくでしょうに
わざわざ「有難し」の説明をしてくれたり(武士になる)
さらす手作りさらさらに、を説明をしてくれたり(夢だっていいじゃない)
あ、でも化学の知識はかなり怪しいぞ。
(赤と青の試薬を混ぜると)[ワタシの計算では美々しいムラサキ色になるハズだ」
(緑と黄色を混ぜると)「ワタシの予想ではカクジツにキミドリ色になるハズだ」
絵具じゃないのだから。「透明+透明=赤」とか「赤+透明=青」とか普通にあるでしょう化学薬品。
中1程度の理科じゃないのですかね(笑)
これを、和音ならともかく、史緒さんに言わせちゃうところが、川原先生大マヌケ。
そして実は、国語(漢字書き取り)も微妙。
編集さんとか写植屋さんとかが間違いをした可能性のある印刷文字は除外して、
ジュリエット白書「不滅の自信」の「滅」
ツベルクリン「同病相憐れむ」の「病」
おいおいそれ小学校で習う漢字だぞ!というのを間違えているんですよね。
これは両方、白抜き太字ですので、書いてるうちに何が何だかわからなくなったのはありそう。
姫野麻子さんのへその穴あたりからこぼれ落ちた「アケメネス朝ペルシア滅亡」の「滅」は合ってるんですから。
ですがっ。 ブレーメン「熊の親切」の最初の方でトム君が持ってたシャキールさんの「洗濯物」の「濯」……
これは普通の書き文字です。言い逃れさせません。
メイプル1巻の1/4スペース(新聞の勧誘さんに洗剤貰った話)では正しい「濯」を書けていたのにね。
英語。これは本人も自覚しているでしょう。「アーチ・エンジェル」ですもの。
「バーナム」でグレイ脱走場面の看板「ARIA 51」。
すぐ下の「RESTRICTED AREA」は正しいのに。ARIAではバッハのG線上になってしまいます。
ひょっとして正しい表記を使うと米空軍から圧力かかって消される、
ので(広島プーカ的に)「ARIA 51」という架空の名称のを創作せざるを得なかったとか?
でもそんなら「AREA 666」とかにする方が川原っぽくないか? うーん。
藤枝さんの「Blak」に「c」が追加
されてるのは妙に味があって好きです。
(略)同じく作品によく登場する数学はどうなのだろう。
「高校での数学はほとんど低空飛行で、
よく進級できたなというぐらい苦手だったんですけど、
受験の年にいすごくいい参考書に出会って、いきなり点数が4倍に。
もともとどのぐらい悪かったかわかるでしょう(笑)。
でも、受験終わるとすぐ忘れちゃいますね。
その参考書はね、今でも大切に持っているのです」
しかしこれはあくまで藤枝さんの夢です。
問題を解いたのが椎名先生であろうが暮林先生であろうが朝比奈周先生であろうが
その能力は藤枝さんの能力を超えることは無いのではないでしょうか。
ここは、間違っているべきなのです。
問2、問3が合っているとしたら(…検証しません、ぱふ男さんを信じます。問1で体力気力を使い果たしました)
その方がおかしい。
と私は考えるのであります。
しかし川原自身は「どーして√2+√3が√5になるんだ?え?」「あれ?ちがうんですか?」ですぜ。(追憶は春雨ぢゃ)
鹿梨荘とひそひ荘についてはこれ以上言及できることがなく、かといって新しい話題も
見つからないまま日が過ぎてしまいました。
順番から言えば「コメットさんにも華がある」の感想を書けばいいのかもしれないのですが、
今一つ感想が出てこない作品なんですよねー。
強いてあげるなら、川原の数学の知識です。あれは合ってるのか? 僕は数学は嫌いじゃない
んですが、数UBまでしかとらなかったので、とても理解できない内容になっています。
また、「羽がある」にも媒介変数がどうとか出てきました。
全部合ってるのなら、川原の数学の実力は相当すごいんじゃないか?
以前の作品にも、これほどの数学の内容が出てきたことってありましたっけ?
可能性1、は否定されました。
屋上に共用の物干し場があり、そのかわり各部屋にはベランダがなく腰高窓だけの物件もありますが(例:一刻館@めぞん一刻)
屋根の形などから想像する限りひそひ荘・鹿梨荘はそうではない。
ひそひ荘・鹿梨荘の外観
は常に廊下側からしか描かれていないので100%確実なことはわかりませんが。
可能性2
ひそひ荘の大家は心が広かった、または大雑把だった。
「もう古いアパートだし、どーせ近いうちに壊して建て直すんだから、
釘でも何でも好きに打っちゃってくれて構わないよ」と言ってくれたので
天井に取り付ける方式の、そこそこしっかりした引き戸を買ってきて吊り下げた。
6畳間が、夜間は3畳x2間に早変わり。
可能性3
あの物件に風呂が付いたのはごく最近、「鹿梨荘」になるときに改築工事したのです。
そのため台所は一部が潰されて「狭い台所」になりましたが、
「ひそひ荘」の時代には(部屋面積の割には)やや広めでした。
広めの台所は食卓を置けるだけの面積がありしたが、蕗子たちは卓袱台を使った。
そうすると台所に空間が残ります。一人分の布団を敷くことが可能です。
台所と6畳間の間には襖なり扉なりの間仕切りがきちんとあるでしょう。
私、個人的には台所で寝たくはありませんけどね。
秋刀魚焼いた匂いの中で寝たくないし、布団の埃の舞うところで料理したくないし、
夜中に黒(または茶色)の昆虫がかさかさうるさそうだし、
だったら押し入れで寝ることを選びます。
蕗子が私と同じ感覚の持ち主なら、蕗子も押し入れで寝ていたかも。
(その場合は鹿梨荘への移行時の改築は不要、もともと風呂付物件であっても問題ありません。)
蕗ちゃん、別荘での豪華な和食に「うわあ…」と感嘆しましたが、寝床については何も言っていません。
「久々に体を伸ばしてぐっすり眠れた」とか「布団がふかふかすぎて落ち着かなかった」とか、そーいうのが何もない。
あの客間*の寝床をあっさり受け入れられる程度には、劣悪でない環境で夜を過ごしていたのでしょう。
押し入れとしての本来の目的に「収納」に使用した残りの空間が60x140cmしかなく
そこに身を縮こめて寝ていたとかでは無いのです。よかった。
*立場上は使用人だと思いますが…夕食風景などから見ても、客、または家族の一員と扱ってもらっていたのでしょうね。
もし鹿梨荘とひそひ荘(大家がかわり、名称も変更になった??)が同一の物件であるとすると、
6畳一間(台所、風呂便所付き)に女子高生と男子中学生の姉兄がふたりで暮らしていたことになる。
これは、辛すぎるですよ。
衝立、あるいは「突っ張りポール」に木綿布かけた簡易間仕切りで二人
二人が良い子で、互いを思いやれる子たちであるからなおさら、苦しくて苦しくてたまらないのです。
同じ面積でもせめて3畳x二間だったなら、夜は襖を閉めてしまえば最低限のプライバシーを確保できるのに、
あるいは姉妹(兄弟)設定だったらまだ我慢ができたのに。
拓也は実は桜の木の下の落とし物で、血の繋がらない姉弟の禁断の愛!に持ち込むには二人の環境がシリアスすぎるしねえ…
陣内君と山吹さんの主従が実態として入れ替わってしまい、その後ほとんど
何も起こらずに終わるのが個人的には割と気に入っています。
鹿梨荘が蕗子のひそひ荘と酷似しているのは由里さん的にはどうですか。
周囲の建物の並びまで似通っているように見えますが。
私なら、現在進行形の作品や終わったばかり(雑誌掲載は10年前^^)の作品は「とりあえず保留」にしておきますが。
後年、振り返ってみたときに「ここに既に第7期の兆候が」とか見えてくるでしょうから、それまで判断を待てば良い。
しかし、第6期と言い始めると、「バーナム効果〜」問題が浮上します。
由里さんに指摘された最終頁での2人の後ろ姿…
確かに第6期に入れたくなります。
ただ、2人で終わるのではなく、火星人で終わっている。
「レナード現象〜」から「コメットさん〜」まではすべて主人公2人で終わっています。
それが第6期です。
もうほとんど火星人で始まって火星人で終わるような話(そして恋愛要素は薄い)を
第6期に入れてよいものか、迷うのが正直なところ。
次の「武士になる」が弓道で始まって弓道で終わる(まだ終わってませんが)ような話
なのでなおさら。
孫娘はこわいぞー。
孫なんて物には絶対に興味がないだろうと予想されていた父が、激変しちゃいましたからね。
私自身はじいさん二人とも亡くなった後に生まれたので、じーさんに溺愛された経験がないのが残念です。
僕は実は女の子がほしかったのです。
今はこっそり孫娘の誕生を待ちわびています。
ですがですね。考えました。そした、わかりました。
私はあの作品で川原が描いたのは「保科君と遙ちゃん」の話であることを、実は私は最初から理解していたのです。
理解した上で「あれじゃ槙原君がかわいそう」「遙ちゃんの健全な成長のためにならない」とあの結末を否定し、
「こうあってほしかった」という別の結末を提案していたのです、たぶん。
いったんは二人が「何かちょっと勘違いして」くっつきかけてはみたものの
「その愛」と「この愛」が全く別物であったことに気づき、
遙ちゃんは槙原君とくっつき、保科君は遙の父代わりとして彼女を見守り、槙原君が保科君をを慕い、
そして将来、槙原君が彰英柔道部をインターハイ優勝にみちびく。
「あ!それいいね」川原がにっこり 由里さんがにっこり お星さまもにっこり…
遙ちゃんを襲う変態野郎も「にきびだらけ、ダサい服着たきもデブ」じゃなくて
優し気で爽やかな「一見いい人」に遙ちゃんが付いて行っちゃったら実は……という代替案を出しました。
そーいうことだったんです。
彰英高校3年の柔道部主将。
そんなのと小6の娘がくっついちゃうって、私が親だったならば恐怖です。
「よちよち歩きのころからよーく知っている聡真ちゃん」ならまだしも
先月引っ越してきたばかりの新居の隣人。どんな「裏」のある家族か、わかりません。
彰英高校に行ってるらしい。きっと学業成績は大変素晴らしいのだろう。でも、人格までそうとは限らない。
頭の良さを卑怯な形で使えば、いくらだって小6女児を罠に落とせます。
しかも柔道部。力で押さえつけられたら絶対に叶いません。
さらに親は働いていて、昼間は家にいないわけです。
読者は、保科君がそんな奴でないことを知っています。
でも、遙ちゃんの母には、それは分からない筈。
お願いですお母さん、遙ちゃんを守ってあげてください。
「宿題を見てあげる」などの口実で親の留守中に家に保科君を上がらせないよう、
必要な時は遙ちゃんが保科君の家に行き、聡真の部屋でなく居間や食堂で勉強させて貰うように、
遙ちゃんにきつくきつく言い聞かせてください。
無理かな。娘が保科君の自転車に乗せて貰ったと聞き「超ラッキー」などと言ってる母だもん。
危機感足りないわ。
「いろんな形の男女の関係」
「まともじゃない組み合わせ」
いいと思います。
第6期の傾向のいまひとつのキーワードとしてもいいくらいに思えてきました。
「(ちょっと変だけど)主従」を描いたのが陣内王子と山吹さん。
あの二人、どうやったって恋愛には辿り着かないように私は感じます。
王子側は山吹さんを「ちょっといいな」くらいには思うかもしれないけど
仮に二人でディズニーランドに行っても、山吹さんはそれを「福利厚生、社員旅行」と捉えそう。
そして将来二人がそれぞれ別の相手と家庭を持っても、山吹さんはずっと王子を支え続けるのさ。
「友情プラスアルファ」に向かいそうなのが彬良君と紗矢ちゃんかな。
沙耶ちゃんにとって、彬良君は数少ない理解者。彬良君にとっての沙耶ちゃんは、大恩人。
互いにとても大切な存在だけど、それと恋愛はまた別で。
彬良君が自分の恋愛を沙耶ちゃんに相談するような未来もあるかなと想像します。
(沙耶ちゃんがデートの成功の秘訣など指南できるとは思いませんが、
対象の女性について鋭い深い洞察をしてくれそうな気がします。)
「保護者と被保護者」の話あっても良いでしょう。それが保科君と遙ちゃんです。
保科君は、遙ちゃんと槙原君を温かく見守り導く優しくかっこいい憧れのお兄ちゃん。
遙が聡真に求めるのは「彼」でなく「兄」です。いえ、「父」です。
もしも聡真→遙の「愛」があるとしたら、それも「父性愛」です。
遙に父親がいない設定なのは、そのためだったのだとも言えます。
もし遙の相手が保科君であるというのが確定事項であるならば
「理由」は、彰英にして10年に一人級の天才と、本来この学校に入る筈の無かった劣等生の、格違いの恋。
「羽」は、高3柔道部主将と小6女児の違法すれすれの関係。
「裏」は、表向きの主役は平凡な高校生だけど、背景にいるのはアブノーマルな男二人。
そーいう「まともじゃない組み合わせ」を描いたのが「レナード」ということになってしまいます。(「程」は少し外れる)
あくまで、私の中で、ですが。
「理由」「程」はブレーメンと同時進行での掲載、
「羽」で休載癖がつき、その最中に大天使の映画化発表。
(原作者に打診があったのはいつ頃なのだろう、そういう業界事情は全く知らないのですが)
「裏」連載と映画製作が同時進行(慣れない取材に振り回されたり、浮ついたり、不安になったり)と
「がある」4話まで(単行本レナード収録分)は、非常に落ち着かない環境で、
川原自身も自分で何を描いてるのかよくわからない状況に置かれていたのかもな、と考えます。
そしてその後、大好きなホモ話(無理)32頁は一回で完結させたものの
「嘘」で再び急病休載分割掲載、「罠」4分割、「華」を3回かけて半分まで描いてまる3年休載。
ようやく復帰してくれたと思ったら火星人話(途中休載無しだった点は褒めよう、例え1回4頁でも)、
続く「武士」はまたまた中途半端な箇所で中断したまま8年半経過(記録更新中)…
そもそも「がある」の全てが混迷期なのだとも言えまする。
(私は内容でなく川原の混迷を指しているわけですが、
作者が迷子になったら作品もどこに行っていいかわからなくなるよな)
事務長と真世の後ろ姿ね… いいんですよ。すごくいい。
でもこの時、二人ともルルーニュのことを考えちゃっている。互いのことは頭にない。
それが残念な所です。
高3男子が小6女子に「胸きゅん」したら、常識的には明らかに「ロリコン」でしょう。
でも、川原はそれを良しとする。
ステロタイプのロリコン野郎を出してきたのもひとつの伏線です。
保科君が奴を投げ飛ばすことにより、ステロタイプの「ロリコン」を否定し、肯定的で
未来志向の「ロリコン」を「川原は」描きたかったと僕は解釈します。
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