三之丞の古文書棚 22年-壱
後半部分だけ。↓
高3-小6というのは、ちょうど姉と私の年齢差です。
母と一緒に、姉の高校の文化祭を見に行ったことがありました。
どこかのクラス展示だったのかな、「昔の遊び」的なことをやっている一室があって
そこで私は肥後守(?)を使って竹とんぼ作りの体験をさせて貰ったのでした。
小学生のチビにけがをさせちゃあいけないと、高校生のおじさん*が一人私に付きっきりになってくれました。
私の肥後守が滑っておじさんの指先に傷をつけてしまい、私がポケットからくまさん絆創膏を取り出し
そして始まる二人のストーリー、なんてことがある筈はない。
髭の生えたおじさんに私が恋愛感情を抱くなんて考えられませんし
おじさんが吊りスカートのガキンチョに胸きゅんきゅんしてくれた可能性もゼロでしょう。
5年が経過し、高校2年女子と大学4年男子(一浪)になれば、まだ多少はつり合いが取れるかもしれません。*
しかし。私が高3のとき、教育実習に来た部活のOB(男)が私の姉の中学時代の親しい友人であることが判明し
それから実習期間中ずっと、部活と勉強と両方で厳しく優しくしごいて頂いたのでした。
とっても素敵な、尊敬できる先輩でした。20年近く経った今も尊敬しています。
が、年上すぎて、憧れの対象ではあっても、決して恋愛相手ではない。
6歳というのは残酷なまでに大きい差なのです。**
*高2-社会人1年生だと経済格差がありすぎるので×。本人たちにその気が無くても、実態は援助交際に近くなってしまう。
**「嘘」の二人も実は6〜7歳差ですが…月島さんがしっかりしている、対する先生はどこか抜けてるので、割と対等かも。
現在の夫と私は4年5ヶ月差(5学年差)です。
まあ35歳にもなりますと、39歳との差を感じることは余りありません。
それでも正直、「世代が違うなあ」とため息つくことは御座います。
最近ではね、映画を見たんですよ。大阪万博が出てくる話でね。
私にとっての万博は二・二六や関東大震災や応仁の乱や保元の乱と同じ「歴史上の出来事」なんです。
がっ。夫、万博を知ってるんですよっ。(←39歳)
その後の映画への感情移入度に大きく違いが出ましてね… 5年差は大きい。
60-56になったら、差はもっと縮まって感じられるでしょうか。
70-66なら 80-76なら 94-90では
遙ちゃんに言いたい。
「やめときな。若いうちから夫を介護する羽目になるぞ」
「遥さんが槙原君とくっつかない理由」についてです。
僕の中で、彰英高校シリーズ「レナード現象〜」から「コメットさん〜」までは
川原作品中、第6期にあたります。
この時期を特徴づけるキーワードは「原点回帰」です。
すなわち、「主人公同士」がくっつき「かけ」るまでを描く「恋愛漫画」です。
次の「バーナム効果〜」からは恋愛要素は捨象され、新たな混迷の第7期に入ります。
第1期「進駐軍に言うからねっ!」では七緒さんは主人公であり、同級生だが脇役の
佐藤君とは決してくっつかず、一方の主人公である倍ほど歳の離れた志貴正和とくっ
つき「かけ」ました。
第6期、「羽がある」の主人公は明らかに保科君と遥さんです。
遥さんは川原作品には異例の小学生ですが、どう読んでも主人公のひとりです。
第6期の真っ只中を走る川原にとって、主人公は主人公とくっつき「かけ」なければ
ならない。主人公である遥さんは決して脇役の槙原君とくっついてはならないのです
(あくまでも川原にとって)。
由里さんが物語の進行から見て槙原君とくっつくべきだと言われるのに一理あること
は問題ありませんが、あくまでも川原の中では遥さんを6歳年上の保科君とくっつけ
ようとしています。
以上、川原の作品の生み出し方に興味のある僕の考察でした。
しかし、映画を観た当時の僕はそれらの巨大化には思い至っていなかったと思います。
当時の僕が何を考えていたのか、いくら考えても
ワッカリッマシェーン
他に思い浮かぶ「巨大化」と言えば
活動中は身長1mになるルドルフ。
8歳のミニラからボムッと18歳に成長してそれなりに身長も得た梨生?
ぽんぽこ山のマツタケ。
巨大なフンコロガシ。
10mの脚の巧はあまり巨大と言う感じがしないのは何故でしょう。
川原作品以外ではウルトラマン第33話に登場した「巨大フジ隊員」が衝撃的ですねえ。
フジ隊員の巨大化は1967年2月ですから、65年5月生まれの小田一生監督には生の記憶は無いと考えられますが
再放送やら「ウルトラ怪獣図鑑」的な本やらを通じて十分な知識があったとしても不思議はありません。
先日、「デスカッパ」という映画を見ました。(2010 日活)
大雑把に言って巨大ヒロイン物。主人公の祖母役でフジ隊員の桜井浩子さんが出演していました。
しま 9/11 00:40
誤)由里
正)由里さん
m(_ _)m
思い出してください。または、もう1度考えてください。
巨大史緒の謎。
ハワードさんと郁さんは在英かしら
しかし1週間分まとめて読み返してみたら改めて酷い。
こーゆー人が彰英を原作としたオムニバス映画の監督をすると
なぜか彰英に関係ない覚くんが出てきて、葡萄月にも登場しない姑が事実上の主役になっていて、
観客はぽかーーーんとなるんだろうなあ。
きっとあの監督の脳内では巨大史緒も潜水艦もちゃんと筋が通ってたんでしょうね。
話を聞いてみたい気がします。
敦子様のお父様の銀行は、鼓さんの西部グループの取引先、たぶん。
貴島財閥は敵か。味方か。どっちだろ。
…って、なんで妄想の拡大に付き合ってるのだ?自分?
貴島父がいい人だってことには大きく賛同します。
市村さんの件は、貴島父まで話を通したという由里説を支持したいです。
細かな人事にまですべて関わろうとするトップは案外います。
とは言え、顕子ババアだって、息子が健在でいる間はそれをしなかった。できなかった。
貴島家のババアがそれをしなかったのもそれと同じ、
「本人が両親と縁を切る(切られる)まで関係悪化していたわけではない」覚の父が
本当にうまく立ち回ってことを収めていたのじゃないかと私は思います。
覚くんの父は、できる限り親を敬い、できる限りのことを親にしてあげて、妻にもそれをさせて、でもそのうえで、
「あんたが俺たち夫婦から覚を奪ったりしたら、俺は覚を奪い返したうえでここを出て行っくよ、貴島は継がない」と
そこだけはきっちり宣言して見せるくらいの強さも持っていたんじゃないでしょうか。
車の後ろに座って雪を見ている父さんはボケかけてるんじやないかと思うくらい威厳も何もないただのおっさんだけど。
覚くんの父さん、いい人ですよ。
回復後、車の中での「しっかりしてくれよ 期待しているんだからな」の言葉は財閥最優先の冷たい父にも見えるけど
ぼーっとした覚くんを見て「なんだか覇気がない」と気づいたのは「父」としての観察眼でしょう?
巧兄ちゃんを壊してしまった仁科の父さんとは違う、と私は思います。
市村さんが覚くんに蕗ちゃんを助けてあげなさいと言うあの部分、
(社内でどんな立場にある人なのかわからないのだけど)市村さん一人の判断で言える内容とは思えないので*、
たぶん全てを知っているばあやが市村さんに訴えて、市村さんが父さんに相談して、
父さんがきちんと理解を示してくれた上で、市村さんに何か指示したのだと思うのですよね。
(いや、事務員バイトの一人くらいは覚くんの権限でどうにでもなるか。
高校卒業後の正規職員としての就職も世話できちゃう? そうなら、「市村さんが」からここまで削除)
覚くんの父さんはいい人です。
(またわけのわからん決めつけモードに入りました^^)
まず、
母は体が弱かった。これは事実。
すずかけ台(と後に呼ばれることになる、当時は未開発の田畑の中にぽつぽつ家が建つ場所)の出身かもしれない。
証拠は無いけれど、そうであると考えると説明がしやすい。
父と母はめぐりあい、恋愛し、結婚しようとしたものの、父方祖母(母にとって姑)に邪魔される。反対の理由は主に2点。
・貴島家の長男の嫁として一番大切なのは後継ぎとなる息子を生むこと。
虚弱な嫁にそれができるのか。できないだろう。
・仮に生まれても、それが嫁の体質を受け継いだ病弱児では困る。
(出身地から考え、嫁の実家は農家かもしれない。そのことへの差別もあるかもしれない。
しかし農家の娘だとすると、時代を考えたら中卒*? その母と、財閥御曹司の父が、どこで出会ったのかの謎が残る。
中卒でお手伝いさんとして貴島家に住み込み、そこで芽生えた身分違いの恋!の可能性ならありか。
でも、すずかけ台(←将来)の裕福な地主、小中学校の先生など地方公務員、あたりの方が現実味はあるのでないか、
母が商業高校でも出ていればタイピストとして貴島財閥の事務所に勤める中での出会いも発生しうる。
とりあえず農家差別は捨てて唯一確実な病弱に絞って進めよう)
*覚くんは1966年生まれで長子なので、両親の結婚は前年の1965年だったとして、
当時の女子の平均初婚年齢が24.5歳(案外高い!)、なので1965年に母は24だったと決めつけると、
母の中学卒業は1955年。その年の女子の高校進学率が全国平均で45%くらい。
東京の進学率はもう少し高かったと予想できるけど、それでも農家からだと、親の理解、経済力の点から難しそう。
それでも愛し合っていた両親は、駆け落ち同然に結婚する。もちろん舅姑の住む都内一等地の屋敷に同居での新生活ではない。
或いは、なんとか許しを得て夫婦とはなったものの、都内一等地のお屋敷には入れて貰えなかった。
或いは、最初は都内一等地で同居して新婚生活を始めた物の、すぐに追い出された。或いは嫁自ら家を出た。
実母より愛妻を選んだ父は母と一緒に家を出たが、本人が両親と縁を切る(切られる)まで関係悪化していたわけではない。
実父の動かす貴島財閥の本社に勤め続けている。
さて、一等地の屋敷に住めなくなった夫婦は、別の住む場所を探さねばならない。
父の通勤に便利な別の一等地に家を借りることもできる、ちょっと離れた場所になら買うこともできる。
が、母は弱く、父は忙しく、子育てには人の助けが必要だ。
それならば周りに近しい人の全くいない知らない土地より、母の実家の近くに住む方が良いのじゃないか。
母の両親(覚の祖父母)、或いは仲の良かった姉(覚の伯母)や、子供のころから可愛がってくれていた叔母(覚の大叔母)たちの手が借りられる。
更に、母の病気の性質や状態にもよるけれど、
都会の大病院の高度な医療は特に必要としない、内科・小児科の町医者で対応できる一般的な体調不良の積み重ねであるなら、
母が小さな頃からずっと診て貰っている、ここまでの経過をよく知っている先生に今後も継続して治療してもらった方が安心だ。
(姑が懸念したように)病気や体質が生まれくる・きた子供(覚)に遺伝する可能性があるなら、その子のかかりつけも同じ先生の方がいい。
「この程度なら大丈夫だよ、お母さんのときも同じだったからね」
「これはちょっと心配だね、お母さんのときも同じだったからね(お母さんの時はこんなじゃなかったからね)」
自分の体を自分と同じくらいに知って・わかっていてくれる医者の存在は本当に心強い。うん。
もしも運よくその恨めしい体質が遺伝していないなら(いや、遺伝してしまっているのなら尚更)
生まれた子供には、広い地面を元気いっぱい走り回ってほしい、思い切り体を動かし、太陽の光を浴び、強い子に育ってほしい。
両親はそれが可能な環境に家を持った、父の通勤40分と引き換えに。
・もし母が大学病院への通院が必要なほどの重い病気を患っていたとすると、すずかけ台は少し辛い環境だ。
2022現在、すずかけ台に一番近い大学病院は北里大病院。開設は1971年、覚が5歳になった年の夏。
2番目に昭和大学病院は、75年、母さんが亡くなる年にできた。
3番目の聖マリアンナ医大ができたのは80年代、母が亡くなったあと。
当時の最寄りは横浜市大病院?(この50年の間に移転・閉院した大学病院があれば別)
もちろん東京に出ればいっくらでも病院あるわけだが
どうせ新生活始めるのなら、体調悪い中での通院、悪化して入院しちゃった場合の付き添い・見舞いのことなど考えて
やっぱり大きな病院の近くに住む方が良いと考えないだろうか。私ならきっと考える。
日常生活に母方祖母の手伝いが必要なら、一緒について来てもらえばいい。
だから母の病気は町医者の手には負えないような重篤なものではなかったんだ。
たまたま運悪く、風邪をこじらせて肺炎になったり、軽い腎炎があっという間に腎不全尿毒症に進んでしまったり、
そんなことだったのだと思う母の死は。たった半年前には楽しい夏休みを過ごせたのだものね?
・転地療養が推奨されるような病気ではなかった筈。
それならばすずかけ台などという中途半端に自然が残る場所でなく、
温泉地の箱根とか、海沿い地域とかを選ぶことになっただろう。
こうして、祖父曽祖父の代から受け継がれてきた都内一等地の屋敷があるであろうにもかかわらず、
すずかけ台(になる前の)辺境の地・南町田で、夫婦は生活し、覚が育った。
全ては母が病弱だったからだ。
健康な娘だったら、姑に受け入れられ、一等地の屋敷で、姑の手を借りながら子育てをしていたことであろう。
子供時代に通った近所の小さな医院にももう用はないしね。
ここまでの経緯から、
両親は親が決めた政略結婚などではなく、自由恋愛によるものだった。
親に反対されたくらいでは諦めることができない、熱い熱い愛があった。
父にとって、母は、祖母(父の実母)より大切なものであった。
ということがわかる。
これが家を手放すことができなかった理由にはなるのだが、そこはまだ整理が十分でない。
覚の気持ちを汲めない無神経な父が「母さんいなくなったし、妹弟が増えることもないし、こんな広い家いらないだろ」と引っ越しを決めてしまい
その心の傷が後の「小学3年生への退行」に繋がる。とかって筋書きもできるわけですよね。
そっち方面をきちんと否定できなきゃいけない。
妻に執着しない父なら、いずれ再婚→異母妹弟ができるかもしれない、相手も再婚なら連れ子がいるかもしれない、じゃあ家はとりあえずこのままにしとこ。と思うかな
(仁科さんちも、椎名さんちも、突然湧いて出た義理の娘に1部屋与えることができたんだ。貴島さんができなかったらみっともない)
そんで暮らし始めたのが妻実家近くのすずかけ台(として分譲される前のあの辺)。
夫の両親に頼れないなら、なおのこと、妻両親の助けは大事でしょう、
そのすずかけ台が後に若い世代に人気の高級分譲地となってしまうのは別に偶然ではなく
そもそもすずかけ台を開発したのが貴島財閥の配下にある鉄道会社だから、という物語も作ったのだけど(既に推理ではない)
実在の人物たち(五島一族)をネタにするのはちょっと気が引けたのでボツにしたのでした。
川原がMelody毎号32ページずつ描いてくれたら、こんな要らない妄想広げる暇もなくなるんだけどなあ。
植栽はともかく、同じ車が同じ位置にある、
あの2つの家を「同じ設計図」や「移築」で考えるのは無理でしょう。
てことは、貴島家は自宅を売却した?それを買い取ったのが飛島家?
から始まった妄想が、20年間宙ぶらりんだった彰英の所在地問題解決に繋がったのです。
貴島家と飛島家の相似に気づかなかったら、私は今も曖昧に「43県のどこか」と思っていた筈です。
もしかすると地名、で始めてそのまま突っ走る件は勘弁してください。
人名説、古典説、どちらも私の手には負えませんでした。
で、それをちょっと脇に置いておいて地名説で考えたら
とんとん拍子に進行してドングリの拾える大きな公園に辿り着けちゃったので
もう地名説以外は無かったことにしようと。わはは。笑ってごまかす。
仮に緑山が姓だとすると、現在、全国に約40人しかいないようです。
ありふれた字の組み合わせなのに案外珍しいのね。
鈴木佐藤高橋田中じゃなくてラッキー♪これは行ける、と一瞬思ったのですが
緑山姓の南関東での分布(荒川区に集中)まで調べた後、詰みました。
中国古典に至っては私、完全に門外漢です。
もひとつ、「川原が***の元ネタ説」、
1984〜87年にヤングジャンプで連載された「緑山高校」という野球漫画があるようです。
葡萄月は93〜94年ですから時代が少々離れてすぎていますが
しかし葡萄月を描いたのはメイプル連載中だったわけで、参考に読んだ可能性も。
この緑山を流用したというのもありえます。(意識的にか、無意識にかは不明)
私自身は物語世界の中だけで考えたい、そこに川原自身を連れ込むのは禁じ手という方針ですので
(飛島病院や陣内家を「作者手抜きの切り張り」と言いたくない)
この元ネタ説は敢えて本文に入れませんでした。
ちなみに「緑山高校」、ざっと調べた範囲では、メイプルよりは甲子園の空に近い雰囲気っぽいです。
同じ84年、同じ66回大会の話です。
そんでその緑山高校は福島県にあるそうです。
でも、この部分に突っ込み入るとは正直予想していませんでした。
それより、貴島さんがあんな新興分譲地(として開発される前の、畑のど真ん中)に住んだ理由
(今は「高級住宅地」と呼ばれていますが、所詮は80年代以降の成金地区。更科家にちょうどいい感じ)、
「妻との思い出の家は手放さなかった筈」という妙におセンチな勝手な決めつけ、
あの辺りをもっと論理的に解決したかったです。
何かいい案ありませんか??
「貴島家の桃の木の根本には赤い鳥と白い鳥が埋まっていて発覚が怖いから動けない」とか
…全然論理的でない。
私の設定では、大和市にある駅を降りて、大和市の住宅街の中の道を歩いて、市境を越えるとすぐ学校。
通学路で目にする市長選ポスターは大和市のもの。学校前を走る選挙カーは大和市議のもの。
確かにこれだと「大和市にある彰英高校(正確には相模原だけど^^)」という認識になっていてもおかしくありませんね。
中学の運動部だと市大会→地区大会→県大会→と勝ち進んで行くので
部活やってる子は「市」を強く意識する機会がいくらでもあるけれど
高校って県大会から始まるのが普通みたいですし。
大和-相模原は相互協定結んでるので、相模原市通学の彰英生は全員大和市立図書館が使えちゃうし。
中央林間駅前のハンバーガー屋さんが「市内の高校の学生証でドリンク無料!」等のサービスを提供した時に
彰英は対象外とわかって初めて驚く みたいな感じかもしれません。
1つの解決案。
ウチの高校、毎年6月の合唱祭は、市立文化会館大ホールで開催していました。
学校の体育館では音響効果が酷過ぎること、生徒職員を収容するのが精一杯で父母の観覧が不可能なこと、
この2つの理由からだったと思います。
彰英の講堂はウチの体育館よりはマシでしょうけど、可能なら相模原市民会館を使った方がいいかな、と
この辺りで彰英生と相模原市が接点を持つことはありそうです。
同市民会館で毎年秋に開かれる市民文化祭に、1年生が美術の時間に共同制作した巨大油絵を出展するのが伝統、とかもあり?
毎日昼休みには校内放送で「相模原市民の歌」が流れるってのは勘弁してください
人情あふれる下町で、近所のじじばばにお節介やかれ、幼児になつかれ纏わりつかれ、
魚屋に行けば「今日はいい鯵が入ってるよ、塩焼きでどうだい?」と勝手に献立決められる、
そんな生活を居心地いいと思う人がいれば、鬱陶しいと感じる人もいる。
小学校の校庭と隣り合った、南に高い建物があって日照ゼロの家、私には絶対無理です。
でも会社勤めで昼間は家にいない人ならそれで不都合はないかもしれない。
(そーゆー部屋を借りちゃったらコロナで在宅勤務で悲惨なことに、という話を聞いたことがありますが)
川崎駅、東京にも新宿にも羽田空港にもラクに行き来ができて、そういう条件を求める人にはいい場所だと思います。
東海道新幹線はちょっぴり不便。(品川まで戻るか、新横浜だと乗り換え1度必要)
で、あ、
武蔵小杉のあのタワー群の最初の1本が建ったのは2007年だそうです。
陣内君の入学は2004年、その頃はあの辺りは「工場跡の、しょーもない空き地」だったのですよ。
陣内君がちょろっと空き地を買って置いたら、卒業までに数倍の値段になったかも。
横浜の中華料理と川崎については、まちがいありません。直観です。
多分に偏見を交えた直観でもたまには当たることもある。
神奈川生まれ神奈川育ち、今も神奈川7区の選挙権を持つ私を信じなさい。
って、昭和時代の大気汚染の印象を未だに捨てきれない昭和脳の私と言う意味ですが。
東海道線が止まらなかった国鉄川崎駅、を引きずってる20世紀の私という意味ですが。
若者の価値観とは全然違うます。そもそももう20年以上川崎駅に下りてません。
(川崎大師には帰国の度に行く)
武蔵小杉あたりの、あのいわゆるタワマンてのは、人気はあるようですね。
私はタダで貰っても停電時に自分の脚で上れない高さには住みたくありませんけど。
東急東横線で隣駅の「元住吉」なんかは川崎市でも割と暮らしやすい雰囲気があって
その辺りなら試しに1年くらい部屋を借りてみてもいいかなあとか思います。
緑山地名説と相模原市内問題については明日に続く
で、都内。
うん… そう意味なら、
仮に私が東京出身で、京都に転校したとして、新しい友人に前の学校の思い出話をするとして、
「都内」とは言わないな。「東京」百歩譲って「東京都内」。
でね… 転校先が千葉や埼玉、神奈川とかの近県だったら、、
ますます「都内」とは言わない。
「練馬の」とか「新橋の」とか、区名、町名、駅名、を具体的に言うだろうと思います。
この理屈で言うとつまり、彰英は近県には無い……ことになっちゃって困るので
ちょっと今は気づかないふり。
気が向いたら補足を書き加えるかも
ま、私も結論としては南関東の某県某市○○8丁目に到着しましたので
首都圏説否定派なわけではありません。
東京近郊であることの最初の証となるのは、裏があるの日夏さんです。
放課後にホモ実験して日も暮れかけてからその場の思い付きで兄たちに文句言いに行く。
行った先にあるp167の景色は、新宿。
小田急ミロード(新宿駅にある複合商業施設)、その向こうに新宿住友ビル、三井ビル、センタービルなど
西新宿を東側から見た絵なのですわ、これは。
塔宮君はともかく、日夏さんは標準的金銭感覚を持った普通の高校生だと思うので
新幹線や飛行機は使わず、往復1000円以内で兄の新居に行った筈。
これが埼玉県深谷市西田を否定する材料にもなるのですが…
そして飛島く(続きは本編で)
何を根拠に東京近郊と仰いますか。 近日公開くつくつ#035の「おまけ」を読まれたい。ふふふ。
てか、一時は「彰英高校 第四惑星説(ウルトラセブンの。ロボット長官の星ね)」までおっぴろげようとしたんだぞ。
でも、DVD確認したら、なんか違う。
調べたら同じくセブンの「あなたはだあれ(ウルトラマンの小林昭二がふくろう団地の「佐藤さん」役で出てた話)」と混線してた。
でボツにしたんだけど、ちょっと勿体なかったなあ^^
読めば読むほど酷いです。
【「邪馬台国畿内説」とはどういう意味か、「邪馬台国が畿内にあった」ということだ、
このタイトルが全てを物語っている、邪馬台国は畿内にあったのだ】
くらいのぶっ飛び方かもしれません。
まあいいや、中途半端に変であるより、トンデモに振り切った方が笑いが取れる。
締め切り設けないと延々と「ここは"が"と"しかし"とどっちがいいか」なんてやってるので
締め切るぞ、締め切るぞ。アトランタ時間8月31日午後10時(日本だと9月1日午前11時)
ただし遅れても罰は受けない。
現時点で原稿用紙15枚!
地図(画像)を添えないと地元民以外にはわかりにくい地名駅名も頻出するので
こいつぁ掲示板向きではないと判断し
4年ぶりのくつ更新に向けて作業を進めます。
大きな問題点を残したままで。 いいのか?
それが済んだら次は彰英図書室問題です。
予告なんかしちゃっていいのか?
ええと、冬になると庭仕事ができず時間ができるので
きっと、その頃には。
まじれすすると、ひょっとしてぱふ男さん、
私が最初にメールで送った「表紙 過去ログ」の方をご覧になってるかな、
それだとリンクボタンは無い
…と思ったけど、いや、トップのつん太時計は見えている。トップ頁だ。
やっぱり老眼だな。
颯起さん、どうぞ道中、安全運転で、お気をつけて。
この話は今は深く追わないでください。
論文「彰英高校はどこにある」の執筆が佳境を迎えました。
本筋と関係ない話題に割く時間は多く取れないのです。
現時点で8,082バイト… 単純計算で4041文字、原稿用紙10枚と2行。どひええ。
順調にいけば今週中に。
出来栄え次第で「くつくつ」更新とするか掲示板ネタとするかを決めます。
酒に弱いって…いいことな筈だけど、それはそれで心配^^
量は減っても美味しく飲めているならそれが一番良いですが。
と…今は解熱ぁら半月くらいか。
後遺症は如何ですか。
味覚が変わってアルコールとニコチンがすごく不味く感じられるようになったとかだと
むしろその状態を祝福しちゃうんですけどねえ。
都合よくは行かないか。
どうか無理はなさらぬよう。
それなので、由里さんの霊界設定もそれはそれで可といたしましょう。
由里さんにメールしたのは高熱が下がった翌々日でした。
だから、この再会も一つにはコロナのおかげがあったのかも知れない。
バチ当たりだな。
霊界ってたぶん、とっても遠くで、だけどとっても近い場所にあって、
ユキエさんから月島さんやペプチド先生の姿は見えているし、
声も聞こえるのではないでしょうか。
月島さんがユキエさんを見ることができなくなっただけで。
ユキエさんが何を言っても月島さんには届かないだけで。
だってそうでなかったら、
アトランタの私と、I国B島にいる従妹と、
ほか北海道から熊本まで日本各地に散らばる私の母方親族、
その全員を祖母が見守ること、できないでしょう?
ダラスにいたときも、アトランタに来てからも、「トリスはいつも近くにいる」。
でも同時に颯起さんやぱふ男さんのそばにもいるんです。
その理屈でいくと、奴は川原の部屋に行くことだってできるのでしょう。
未発表の生原稿とかアイデアノートとか、きっと読めるんだぜ。
んで、夜な夜な私の耳元で「このあと鈴城さんは〜」とかネタバレしてくれてるんだ。
幸運なことに私は霊感が無いのでその声を聞くことができない。
やでやで助かった。
(イスラム教徒の知人は、「アッラーもアメリカまでは見てないから大丈夫」って豚食うけどさ)
由里 8/07 07:38
2段落から3段落への繋がりがわかりにくかった。たぶん霊界ってのは「生きてる人にとっては凄く遠くて」
「でも霊たちからみたらそんなに遠くない場所」にあるのね。
月より遠く、金星や火星よりは近い…くらい? 私の勝手なイメージですが。霊たちはたぶん物凄く目がいい。実際に見るのでなくて、感じる、というのか、
だから火星の距離からでも月島さんやペプチド先生の様子がわかる。
必要だったら瞬間移動してきてメガネ先輩に取りつくことだってできる。
月島さんの目は普通の目だから、そんな遠くに行ってしまったユキエさんは見えないし
声を聞くこともできないけれど。地球(人界)ー霊界の距離と比べたら東京ーアトランタの距離なんて誤差のようなもので
だから祖母は、神奈川に居る叔母たちと、北海道の姉と、アトランタの私を、全員同時に見守れる。
私が今この枠の中の文字を見ながら、掲示板タイトル画像や「ゆり」アイコンも視野に入っているように。
と、霊なんてものはまるで信じていない私が考えてみた「霊界の設定」でした。
高熱で呼吸困難で「もう死ぬかも」と思ったときに走馬灯の中に由里さんを見て
お別れの挨拶のつもりでお手紙下さいました?
病気は治ったのに外に出られなくて退屈で退屈で、暇つぶしに由里さんを思い出したかな?
どっちであろうと構いません。大変な時期にお相手ができて光栄です。
くつくつ通信も名前変えることはないからね、
10年後に、また、探して見つけてね。
あんな場所で呼びかけちゃってごめんなさいね。ははは。
私、颯起さんの連絡先知らないじゃないの。あーする他なかった(笑)
要件は、この掲示板の開設をお伝えすること、
今急いで来なくても、数カ月に1度ふらっと立ち寄って貰えたらそれで嬉しいけど
でも今ならぱふ男さんがいるよー。 って それだけでした。
要件無事に済んじゃったので今回はもうメール必要ありませんけど、一応、
「つんた_と_ゆり」と「くつくつ虫」、アドレスは両方有効です。
メール、立ち上がらなかったなら、何か設定ミスだな。見直してみる。
「送れなかった」なら、平仮名「あっと」を半角「@」に書き換えてくだされば、たぶん、大丈夫。
ぱふ男ってばねー。ひどいのよー。
Tcup消える1週間前に突然「お久しぶりです」ってメール呉れて
私がもーすぐTcup消滅しちゃいますよーって言ったら
「そんな掲示板持ってたの忘れてた」ですって。
ひどいでしょ?ひどいでしょ???
私ってば、何でそんなバカヤローを好いちゃったんだろう。
しみじみと私は馬鹿だ。
「京葉埠頭」というのは正式名称では無いようで、地図上には存在しません。 (*2022現在)
ただ「京葉埠頭ナントカ」のような名前の民間業者は複数あり
それが千葉県市川市、船橋市の埋め立て地に集まっているので
京葉埠頭と言えばその辺を指すという認識で良いと思います。
で、私が(市川でなく)船橋と断定した理由は、
「不明」
いや(笑)、5〜15年くらい前に私がGoogleEarth上に作成した「川原地図」で、
船橋市高瀬町に白いピン打って「京葉第2埠頭」て名前がつけてあるのです。
が、そこを選んだ根拠を覚えていなくて。
が、何かしら根拠はあった筈なのです。
不確実ならば「京葉第2埠頭?」という名前にしたでしょうから。
そのエリアで南側から数えて2番目の突堤だから「第2埠頭」?
6から16まで並ぶ倉庫にそっくりな建物群を発見した?
(でもそれなら建物の方にピン打ちそうだ)
うー。 覚えてない。
船橋市漁協の事務所は少し内陸側にあって(*2022現在)、
埠頭の倉庫を逃げ出した人質がそこに助けを求めるのは少し無理がある。
一方、市川の漁協は埠頭の先っぽにあります。(市川市塩浜)
この埠頭を現場とした方がすっきりする、と現在の私は考えるのですが
5〜15年前の私に対し強くは言えない弱気な私です。
イギリスの法律は知りません。柚子・ロレンスは合法・非合法どっちでしょ??
これ、つん太時計の下に書いておいた方がいいかしらね??
由里 8/05 08:27
細かく言うと
夏時間が始まるときに、1時間だけ「ダラスとアトランタの時差が2時間」というときが生じます。
夏時間が終わるときには、1時間だけ「ダラスとアトランタに時差がない」ときが生じます。
でもこのことはこれは考えなくて宜しい。忘れてください。
ロレンスの家は右側が樹に隠れていてよくわからなかったんだ。
仁科の家は確かに4階ですね。
(傾斜地に建っていて、この絵で1階のように見えるのが実は2階って場合も無くはない)
306,ヨユーで読めますぜ。えへん!
聡真と遙より、もっと大きな年齢差あるんですからねっ。
「直ちに緊急配備!都内各所に検問を設け黒のフェラーリをマーク!!」
東京です。
但し。
「たった今 先行パトが黒のフェラーリを発見」「なにっどこだ!?」
「前方40キロ地点 港の倉庫街(=京葉第2埠頭第3倉庫=千葉県船橋市)に乗り捨てられてあったそーです」
この直前にダミアン+追跡パトとすれ違った少年は、同時に白い船を目撃しています。
素直に読めば「都内から千葉県方面に向かう海沿いの道(首都高速湾岸線)を走っている」と受け取りそうですが
あらあらどっこいしょ。
首都高速で京葉第2埠頭から西へ40キロ戻ると、神奈川県、川崎浮島ジャンクションを過ぎてしまうのですね。
都内からわざわざ遠回りしていったん神奈川に入ったか(都内検問を突破して??)
横浜あたりを出発して「東京方面に向かっているようだ」「じゃあ都内検問だ!」と指示したか(まず県内検問だろ!)
もう1度読み直しましょう。
直前のコマにベリニーチェ・レジナが描かれているためつい勘違いしてしまいますが
しかも少年が海の歌など歌っているために更に誤解してしまいますが
少年が見た「白い船」は大型船でなく、1、2人乗りの「しーろいほのヨット」であり
少年とダミアンと追跡パトが走っていたのは「海沿い」でなく「川沿い」なのかもしれない。
試しに湾岸線を途中で折れて荒川を遡上してみると
京葉第2埠頭から39.5km地点で埼玉県境になり、川沿いの道は途切れてしまうのでした。
では、多摩川ならどうだ。
首都高速湾岸線を羽田空港内で環状八号線に乗り換えて(ダミアン・パトの進行は環八→首都高)すぐ先が40キロ地点。
2017年に羽田空港の拡張に伴って道路が少し移動したので、手元にある古い地図(1995)を参考に補正すると
羽田の島から本土へ渡る「穴守橋」のあたりが40キロ地点となるようです。
グーグル・マップで現地の様子を見てみましょう。
この直前(ダミアンたちにとって直後)に、テトラではないけど波消しブロックのある、超貧弱な砂浜があるんです。
ちょうど少年が歌を歌っている場面の道に、かなり近い雰囲気なのですよ。
私はここを、少年とダミアンがすれ違った場所と特定したと宣言いたします。
但し今、道路から川は見えません。1987年当時のことはわかりません。
環八をそのままぐんぐん進むと(ダミアンたちにとっては戻ると)
行きつく先は、田園調布。超高級住宅地です。
パンプキン・チェーンのお嬢様のご自宅が、ここにあっても、おかしくはない。
その家から一番近い高校も、つまり、この辺にあると考えられます。
柚子ん家とロレンスん家は、柚子が晩飯を出前できる距離。
つまり、ロレンスん家(=仁科の家)もこの近く。
田園調布、仮に電車の田園調布駅から多摩川の巨人軍グラウンドまで800メートルしかないので
毎日の通勤にもとっても便利。
羽田空港にも車でアクセス便利、遠征での利用が多いならばこれは好都合でしょう。
肝心の東京ドームへの移動はやや不便そうですが…。
整理しましょう。
「柚子の家、大天使学園、ロレンスの2DK、仁科の家」は全て大田区田園調布の近く。
(もうちょっと北の世田谷でもいいけど巨人軍練習場への通勤は少しだけ不便になる。)
偽マリーニの黒のフェラーリは環状八号線から首都高湾岸線を走り、船橋へ向かった。
ダミアンもそれを追い、羽田空港の南岸近くまで来たところで「40キロ先で黒のフェラーリ発見」の報が入った。
(ここから40キロ先は京葉第3埠頭である)
その直前にダミアンとすれ違った少年は、その直前にテトラポッドのある水際=羽田南岸を走っていた。
以上が私の導き出しました結論です。
唯一残る問題。
「いいかっ 妙なマネしやがるとチビの命はねェぞ!」「わかってるってばさ」「そーだムギ・チョコ食う?」
で、車は明らかに海岸沿いを走っています。どう見ても川ではない。
更に、背景に低い山。
これね、神奈川県の風景です。大磯〜小田原の、西湘バイパス。後ろの山は箱根ですよ。
(なお私の出身地神奈川県C市では、道路と海岸の間に松の防砂林があり、道路から海は見えません)
田園調布から船橋に向かうフェラーリが大磯を通るわけがない。
追跡をまくためにわざと遠回りをするにしても…ここにはたぶん来ない。
さあ どうしましょう???
チームメイト夫婦のホームパーティーに招かれてきた桜子・薫子と
新婚の旧友の家に遊びにきた和音さんとがエレベーターホールですれ違って
「あ 教育実習生の」「斎木和音先生!」「あら あなた方はあの時の裏山の〜」
なんて会話があるかもしれない。
えええ。遙ちゃんは槙原君とくっつくべきでしょう。
聡真とは6学年差。あの年齢での6歳差は大きすぎる。健全な、対等な交際にならない。
それより小学生カップルをやさしく見守ってくれる聡真兄ちゃん、をソンケーする槙原君が
聡真のあとを追って3年後(猛勉強の末に)彰英に入り、彰英柔道部をインターハイ優勝に導くのだが
それはまた別の話…
て筋書きがあるんだからぁ。
で、ほーらね、放っておいても私以外の人が怒ってくれるよホモ描写。
そこさえなけりゃ、「ふり」をしている二人という話は面白いのに、本当に勿体ない。
ひい祖母ちゃんが病床にあって、ばあちゃんを元気づけるために「ガールフレンドができた」とか嘘ついちゃって、
ところがそれで本当に元気になっちゃったものだから今更嘘とは言えず…とか どだ?
花村のきゅんきゅんは私も苦手です。
「彰英学園中等部」ならアレもありかもしれないが 高校生ではキツイ。
最後の2頁で再会だったら最高に感動的なのは架空の森だしょ!
と思ったら5頁もあったのでありゃりゃりゃりゃ
日夏父(裏)と山吹父(罠)って一卵性双生児か?ドッペル玄関か?とか
飛島父(理由)の病院とエドワーズ(メイプル)が入院した病院って同じ設計図で建てたのか!?とか
しょーもない「研究」に走ってしまうのが私の悪い癖であります。
問題は「裏がある」
川原が以前よりゲイに興味津々なのはよく分かるが、塔宮君のホモ判定の
くだりなど、「ホモフォビア」だとそしられても文句言えないレベルまで
いっちゃってると思います。最後までよく読めば、川原の無邪気な興味
津々さが突っ走ったのだと分かりますが…
「バイ」への言及もちょっと気に入らん。
塔宮の元・恋人(ユリアナ高校)は好きです。なぜだろう。
由里 8/01 13:15
日本時間13時06分04秒の時点では書き込み可能だったんで…その後3分の間に。
結局しまさんに来て貰えなかったのが心残りです。
でも、縁があれば、いつかどこかでまた会えるでしょう。
由里 8/01 10:47
いやいやいや。
日本時間午前6時50分に掲示板が立ち上がってから
現在まで4時間で3度、自分の投稿を誤消去しました。
1度は投稿フォームまで消えてしまって茫然自失。
だから仮にアナタの投稿が消えてしまっても、それはホントに誤消去。
フリじゃない、ふり。
それにしてもこの書き込み窓の狭さは何なのだろう
長文は手元のメモ帳に書いたのを切り張りした方が良さそうだね
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