三之丞の古文書棚 25年-全
川原世界で家族そろって賑やかな正月を迎えそうなのは、なんつったって相本家。
仮に子供たち8人全員が結婚して配偶者を連れてきたら、それだけで16人(両親合わせて18人)。
8組の夫婦がそれぞれ1人の子を持ったら、全部合わせて26人。
4つ子x2組てのはフツーに考えたら排卵誘発剤によるものなのでしょうけど
まさか天然自然に多胎妊娠体質の親で、それが4つ子x2たちにも遺伝していたら
あっという間に40人越え(きっと全員同じ顔) ちょっと見てみたいです(笑)
現実には「一人だけ行き遅れる流花」とか、子を持たない夫婦とかもあるでしょうけど。
(いや現実には、4つ子たちが次々と/或いは同時に!産休育休に入っちゃったりしたらチーム大変なんで。
そこが女子だけチームの問題点だよなあ。)
更科家も柚子が多産でしたね。ここも大賑わいだ。
ちなみに僕には歳の離れた姉が二人おり(兄、姉ではなく姉、姉)、二人とも家を出て結婚しております。
二人とも快く相続放棄の署名捺印をしてくれて僕が家(二世帯に建て替えましたが)と土地を相続して
今に至っています。二人にはちょっとのお金を渡しました。仲のいい姉弟をやっていて、正月には姉たちと
その家族が我が家に集まり宴会を催すのが恒例行事です。うちの息子たちとその家族も集いますので、
総勢21人!家の中に襖をはずしたらこの人数が入るスペースはあるので、その場所の確保と、食べ物飲み物
の準備で年末は少しだけ大変です。
そして糞暑い真夏の日本でバテバテになりながら(気温はダラスより低いがダラスにはあんな湿度はない!)
連日クーリッシュを食べてご機嫌な私でした。
バニラとレモンとチョコだけならアトランタにも売ってるけど、無茶高いの。
*クーリッシュ https://x.com/motoofficial/status/1946091845588815926
「会いたかったろーね かーちゃんに…」
いや… 探す手段はいくらでもあったよ?
10歳の一臣少年がそれを知らなかったのは当然だ。
20歳の一臣青年でも、まあ、仕方ない。
一臣20歳当時と言えば、だいたい昭和50年代の半ばである。
あの頃、市役所や区役所の窓口は不愛想で、市民に意地悪だった。(一般論。)(注1)
「生き別れた母を探したいのだが、そのために自分は何をすれば良いか、
どんな書類を取得すれば良いか、そのために自分は何を用意する必要があるか」
無知な若造が窓口で一から教えて貰おうとしても、まともには対応して貰えなかった。
一般市民は窓口でただ狼狽え、すごすご退散するより他なかったんだ。
インターネットも無かった時代である。
だが…20代半ばを過ぎ、売れっ子作家森江賢一となった一臣は
司法書士やら弁護士やら、法律に詳しい人物に接する機会をいくらでも作れたと思われる。
(取材で。或いは森江賢一の法務依頼先として。)
「子(一臣)は実母の戸籍を取得できる、戸籍附表から現住所も判明する」と知ることは
そう難しくなかった筈である。
自分で動かなくても、売れっ子作家の財力があれば私立探偵の一人や二人、雇えたろうし(注2)
探し始めて翌日にはもう母本人に連絡可能な案件だったと思われる。
それをしなかったのは一臣の怠慢。
つまり、そこまでして母に会いたかった訳ではなかったと推測できる。(注3)
そもそも彼は「もう一人孫が」と聞いて初めて行動に出たわけだし!?
ついでに言うと
散歩できる面積の庭のある家に住み、使用人が少なくとも3人いる、元伯爵家(注4)
この財産を、一臣が簡単に全部まるごと相続できちゃうなんてことはない。
遺産分割協議だ何だ、ややこしい手続きがのしかかってきちゃうんだ。
例え顕子の死に際の告白がなくとも、一臣は顕子の戸籍、実父の戸籍を取得し
自分(+既に明らかになっている叔父叔母いとこ)以外に相続人のないことを証明しなければならなかった。
で、実父の戸籍から実妹の存在が公に出てしまったなら
否が応でも史緒と接触し、史緒正当な取り分を史緒に与える必要がある。
(或いは、権利を放棄する旨、史緒に署名捺印させる必要がある。)
結論。
探して 探して 探したのは
母や、まだ見ぬ実妹に対する愛情ではなく、単なる事務手続きだったのである。
勿論家に引き取って衣食住全般、学費に小遣いまで面倒を見たのは愛情ゆえだろうが。
注1:昭和の時代に由里さんはまだ生まれていなかったので
あくまでも文献資料に当たっただけの知識である。
本当はとっても親切だったのかもしれない。
以前読んだ愚者のナントカという漫画資料によれば、
昭和60年の市役所窓口ではお役人さんはアロハを着て
明るい笑顔で転入者を迎えてくれたようである。
注2:売れっ子作家であるが故に安直に民間探偵に接触できなかった可能性はある。
「3FET」と呼ばれた写真週刊誌のまさに全盛期じゃないか。
判明した実母の状況と探偵の口の軽さ次第では母がFocusされてしまった恐れは十分にある。
注3:母を探し当て、会いに行って、もしも拒否されたら。いやだよね。
母が既に亡くなっている可能性、他所の男と再婚し幸せに暮らしている可能性もある以上、
「事実を確かめるのが怖い」気持ちがあってもおかしくはないし。
思い出の中の母が大好きだったからこそ、あえて探さなかった。または探せなかった。
そういう場合もある。
「母を探す小説」を書き続けていた、映画の中の一臣さんを私は推したい。
(でも、そんな小説を書く以上、やはり「生き別れた母を探す手段」を正しく知るべきだ。
小説の登場人物は一般人なので「それを知らない」ことになるとしても。)
注4:受け継いだはいいけど相続税をごっそり取られ、最近では狭いアパート!2DK!
とならなかった司城家は凄いな……
おことわり。
以上の駄文は全て2025年現在の法律に基づく。
一臣父の死亡(1969年?)から一臣/史緒の最初の遭遇(1987年)までの法律など、知らん。
調べる気もない。
現在進行形でお世話になってる某銀行の担当さんは「質問があればいつでもどうぞ」と仰るけれど
それは母の財産を私たち遺族が継ぐ上で必要な質問であって
漫画の中で発生した架空の遺産相続を考察するための質問のことではないことは理解しているので、
「この女子高生の父が亡くなったのは母(妻)の妊娠中で、
但しその時点で既に妊娠が判明していたのかどうか情報はなく、
それと、父の死後に母が姻族関係終了届を提出していた(無理やり提出させられた)可能性もあり、
更に兄はもしかしたら戸籍の上で祖母の養子になっていた可能性もあり、」
なんて特殊事情について相談を持ち掛けたりはしないのである。
先日出かけた日系食料品店で割と良さそうな黒豆と小豆を見かけ
「正月用品は見つけたときに確保しとかないとね〜♪」と嬉々として籠に放り込み
「もしかして今年は【喪中】だったんでないかい!?」と気づいたのは帰宅してから。
そして先週は、やっと手に入れた栗を「正月用甘露煮」にしてしまいました。懲りない娘……
きっとこのまま平然と正月を祝うことでしょう。
そんな日々であります。
3月、由里、日本で全体重を左手首にかけて転ぶ。
3月、夫、日本で階段踏み外して捻挫。
3月、アトランタに戻り、夫、コロナ発症。(特に後遺症などはなく快癒)
4月、由里、手首の痛みがとれないので医者にかかってみたら、骨が折れてた。(翌日手術)
5月、20年以上使った乾燥機が壊れる。新調。
6月、夫、転職。
7月、由里の母、死去。
8月、由里の母を埋める。
9月、11年しか使ってない冷凍庫が壊れる。新調。
と、まるで変わり映えの無い毎日をゆるゆると過ごしております。
何か刺激が欲しい…
私も専業主婦ですが…夫は家事全般こなします。掃除なんか私より上手です。
この夏、実家の事情で3週間ほど一人で日本に行っていたのですが
帰って来たら家中が見事に片付いていて素晴らしかったです。
野菜を刻むのは圧倒的に私の方が早くて綺麗ですが、炒め物は夫の方が美味しく作れます。
メイプルス球団社長兼寮の管理人兼食堂のオバサン程度の家事能力あるんじゃないかな、夫。
立花社長は、練習着の繕い物なんかもしたのでしょうかね?
縫い物だけは夫、できません。仕方が無いので私がやります。指に針が刺さって大量出血を見ます。
ナッシュの仕事のいちばん忙しいヤマ場は過ぎ、配偶者も少しだけ状態が
落ち着いたので、まりは先日帰ってまいりました。
そんな近況。
うんにゃ。由里さんの家族はどう数えても3人ではないし
母親も90過ぎてまだ生きておる。
正解は
だってほんとに27だもーん、っと
ここ数年はアルコールを週2回しか飲まないぱふ男でした。
2回に減らしたそもそもは精神疾患への対応なんだけど、数年前に内科に
かかって血の検査をしたとろGPTもγGTPも高く、これはアルコールの
せいだと言われたため量まで減らしました。数値は正常に戻った。
母方の祖父は脳出血で53歳で亡くなったらしい。
私が生まれる前、そもそも母が父と出会うより前のことですが。
で、その祖父の33回忌を目前に控えた日、叔母(祖父の次女)が脳出血で倒れた。同じく53歳。
有難いことに32年間で医学は進歩していて、叔母は手術を受けて全快したのですが
以来私は、なんとなく「自分は53で脳出血で死ぬ」と決めてかかっていた気がしますね。
厄年がどーとかいうより、53歳の方が怖かった。
同じ血を引いてる筈の姉と兄が難なく53を通過してしまった時点で
あれ?、もしかして死なずに済むのかな?と気づきましたけど。
ま、私は今27歳ですから、53なんて四半世紀先のことですけどねー。HAHAHA。
父方の祖父はアルコール摂り過ぎて肝臓壊して60で亡くなったそうです。
(これも私が生まれる前)
私はアルコールは嗜みませんが
飲み過ぎの方はどーーーーーぞご摂生くださいませ。
誤:クリスマスから年始までさぼり倒した
正:クリスマスから年始まで「も」「いつもと同様に」さぼり倒した
昨日、金曜日もね、運転免許の更新のためにまる1日会社休みましたよ。
アメリカ国籍の63歳未満の人はオンライン更新が可能なので、
役所まで行かなきゃいけないのは外人と年寄りと新規挑戦者だけ。
ということで窓口はガラガラ。待ち時間ほとんどゼロ。
うちから免許センターまで片道20分=往復計40分、手続きに要した時間は5分足らずで、
それって昼休みを抜け出すだけでも十分間に合ったんじゃあ……
川原世界にこんな呑気な働き方をしている人はいなかったと思う。
(貴船の達ちゃんは昼寝しておやつ食べてゲートボールして、印象としてはのんき者だけど
彼の行動を一週間追った一色の記録によれば1日16時間労働だったそうで……馬車馬だあ。
うちの夫婦にゃ真似できないっす。
(私もどーやったって七緒さんや蕗ちゃんにはなれない
この国で暮らし始めて四半世紀とちょっと
アメリカじゃ新年は二日から出勤だなどと打ちひしがれた頃もあったけど
今じゃすっかり図々しくなって
クリスマス休暇+土曜日曜、「日本人は年末年始は休むのだ」と「自主的に」29日〜3が日、
ついでだからとすき合間に残った幾つかの平日もさぼり倒して
16日間連続で自宅でごろごろ過ごしました。
「日本人は働きバチと聞いていたが、あれは間違いだったのか」と
会社のアメリカ人たちは首をかしげていることでしょう。
年末の29日から今日まで、ナッシュ(長男)とナッシュ2(二男)と、ナッシュの配偶者とその長女が
来訪し、我が家は大賑わいでした。今晩からまた静かな老夫婦の生活に逆戻りです。
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