私は既婚である。
しかし今、その左手薬指には指輪がない。
よくよく見れば痕跡のように指の付け根が黒ずんでいたりはするのだが。
困窮の末に質に入れたわけではない。
実は私、昨年の秋につまらない理由で医者に掛かった。
問診の結果、ＣＴスキャンを受けるよう言われ、待ち時間に指輪を外したのだ。
白魚のような指に合った小さな指輪を買って嵌めて早＊＊年。
多くの家事労働をこなし立派に太くなった指から、指輪は容易には抜けなかった。
押したり引いたり回したり、【超】苦労してようやく指輪が関節を通過したのは
難作業に挑み始めて20分後のことであった。皮膚が擦り剥け、薄く血が滲んでいた。
んで、実はＣＴならば指輪は嵌めたままで構わなかったと言う馬鹿げたオチがつき。
ＭＲＩとの違いを何度説明されてもすぐに忘れる私である。しかし、そうなのだ。ＭＲＩ(磁気共鳴画像診断装置)には、金属をつけては入れない。
金属があると画像が乱れ、正しい診断が下せないのだそうだ。
また金属の種類によってはＭＲＩの超強力磁石に吸いつけられて剥がせなくなる物もある。
だから検査時には髪留めの１本も駄目。入れ歯も外さねばならない。
(虫歯の金冠はそのままで良いそうだ。)
余談であるが私は眉が薄い。遠目には眉が無いように見えさえするほど眉が薄い。
「眉毛刺青」なるものに興味を持って本気で調査をしたことはあるのだが
顔面に酸化鉄を入れてしまうと緊急時にＭＲＩに掛かれず命を落とす場合もあると聞き
怯えた私は今も眉毛が無いままである。 検査の結果、私には小さな病気が見つかり、簡単な手術を受けることになった。
このとき、指輪をつけたままでは手術室に入ることができない。
単に「眠っている間にダイヤの指輪が無くなった」「血しぶきで首飾りが汚れた」等の
糞くだらないイチャモンを回避するための予防策かと思っていたら
なんと、最近の手術では、金属物質があると電気メスの火花が飛んで火傷するらしい。
大雑把に言えば安全ピンに落雷するようなものか。
だから金銭価値の有無に関わらず、眼鏡もエレキバンも準備室で全て外す。
髪の毛を縛るゴムの端は金属で留めてある物が多く、普通はここまで点検されるそうだ。
私はされなかった。ちょっといい加減な病院だったようだ。
ともかくそんな訳で、ＭＲＩとＣＴを間違えて指輪を外したことは結局、無駄にはならなかった。
さて、ここからが本題である。
もしも真船友理が大病にかかったら、月森仁希が大怪我をしたら、一体どうなるのだろう。
若くして父を失った仁希は、成人後、健康管理には人一倍気を使うものと推察される。
癌が見つかると怖いから医者には行かない、などという非論理的な性質ではない。
人間ドックにも進んで入ろうとするであろう。
しかしその指には、ノームに貰った絶対に外れない指輪がある。
包帯で隠して誤魔化せることではない。どうするんだ仁希。
友理が志望通りに裁判官(または弁護士)になったとして
それは、感謝されると同じだけの数の恨みを買う職業である。
フェンシングの高校総体優勝者でも、背後から拳銃で撃たれたら手も足も出ない。
(仁希が暴漢に本を投げてくれれば助かるが。)
(背後から…大根で突かれたりおリボン付けられたりで済みゃあ平和なんだけどね)
重傷を負い、しかし幸い、すぐに適切な処置をすれば最悪の事態は免れようという状態で
「指輪が取れないので手術ができません」これは困る。
命にかかわる状況ならば、指輪の下の火傷くらいは大した問題ではないようにも思う。
いざとなれば指輪を嵌めた指１本、切り落としてしまったって惜しくない程だ。
いやだから、その際に電気メスの火花が危険なんだって。
２人がノームに貰った指輪は、金色であることはわかっているが、素材は不明である。
未来の(或いは他の星、他の銀河系の)非金属物質であることを願う。
彼らの指輪が問題となるのは、医療現場だけではない。
私は昔、給食のオバサンだった。
手指の洗浄が行き届かず不衛生になるので、厨房内では指輪は許されない。
短大食物科でも調理実習の開始前に毎回「爪の点検」があり
このときに指輪を外し忘れていると減点対象になった。度重なれば赤点である。
仁希は経済、友理は法学志望ということで、大学で調理実習をすることはないだろうが
例えば仁希が学費の足しに近所の弁当屋でアルバイトをしようとしたら
その指輪が原因で不採用となるかもしれない。
そういう職種を選ばなければ良い、バイトは本屋ですれば良い、
うまくいけば大量の本を従業員割引で買えるぞという話ではあるが。
或いは例えば精密機械や化学薬品の研究・実験系の職場なども難しい。
友理が調合した薬品だけが謎の怪力を引き出し、他者による再現は不可能で
しかしその鍵を握る指輪の成分はわかりません外れないので分析できません、
これでは化学者になれなかろう。
たまたま２人の志望が法学と経済だったから良いような物の
幼い頃からの夢を指輪のせいで断念する破目になったら、ノームを恨んでも恨みきれない。
指輪の力で６歳の日に戻り、奴をもう１度ひょうたん池に突き落としたくなる。
(その瞬間にノームの指輪は指から消えて、２人は現代に戻れなくなる。のだろうか？)
私の手術は無事に成功したが、しばらくは指輪は外したままで暮らしていた。
例えば健診で腹の中に置き忘れた鋏が見つかり再手術となったときなどに
また20分かけて抜くのはご免だったからである。
２ヶ月後の健診で「全て順調、何も問題はない」と言われたので指輪を出してきたら
２ヶ月間で更に成長してしまった指に、それはどう頑張っても嵌まらなかった。
サイズ直しなどするのも面倒で、指輪は紐を通してぬいぐるみの首に結んである。
彼女がいつかクワ…を教えてくれるかもしれないと密かに期待する私である。
2013.12.25 | 
